2012年07月10日

30数年振りの猫

我輩は猫である

自宅の書棚で埃を被っていた、「我輩は猫である」の上下巻。
小学生の時に読み掛けたまま放っておいたのを、最近になって読み返しました。
やはり普通の子供が面白がるような話しではなく、主人の苦沙弥(くしゃみ)先生位の年齢になってから読むのが良いようで、楽しい読書体験になりました。
しかし、我輩である猫が主人の死を語り、自覚をしながら死んで行くと言う結末は、予想外のものでした。
その少し前に「のんきとみえるひとびとも、心のそこをたたいてみると、どこか悲しい音がする」と書かれているのは、漱石の本音がつい現われてしまったのかな、などと想像してしまいます。
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2012年07月03日

横田克巳さんと生活クラブの事

愚かな国のしなやかな市民

6月30日のLRTフォーラムでは、思いがけず横田克巳さんに会う事ができました。
横田さんは後の生活クラブ生協神奈川となる、みどり生協を作った人です。
横浜にLRTを走らせる会の始まりにも関わられていたので、今でも気にして下さっているのでしょう。
亡くなった私の母は一時期熱心に活動した組合員でしたし、私自身も色々と影響を受けているのですが、ご本人に会ったのは初めてでした。
その時立ち話しをした中では、生活クラブは大きくなり過ぎた、と話されていた事が印象に残っています。
確かに子供の頃の記憶では、扱われていた食材は牛乳と卵位で、配達してくれる職員の人達も大抵顔見知りだったように思います。
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2012年06月08日

立川談志の落語論

現代落語論

立川談志が亡くなったのは、去年の11月21日。
落語にはあまり縁が無いのですが、好きな落語家を挙げろと言われたら、彼でした。
その彼が残した著作が「現代落語論」。
初版が出たのは1965年ですから、まだ彼は30歳になっていなかったはずですが、落語への熱い思いと的確な眼の両方が感じられる立派な内容で、今の私が読んでも十分に面白いものでした。
そしてどうしても、自分が関わっている建築の世界に当て嵌めて考えてみたくなるのでした。
例えば、彼が大切にしようとした古典落語のような存在が、今の日本の建築文化にどれ程有って、それを大切にしようとしている人達がどれ程居るのか。
良い建物ができなかった状況で、それを設計した建築家の責任が問われるような場合、それを依頼した側や受け止める側に問題は無かったのか、などなど。
どちらの世界でも、まじめに取り組めば取り組む程、考えなければならない事は多くなるのでしょう。
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2012年03月21日

吉本隆明さんを悼む

3月17日の神奈川新聞によれば、16日に吉本隆明さんが亡くなられたとの事。
心よりご冥福をお祈りします。
直接お会いした事は有りませんが、何か大切な物事を考える時に、意見を聞いてみたいと思わせるような人でした。
今改めて考えなければならないと思うのは、彼が一貫して原子力発電反対の立場を取らなかったと言う事です。
先の新聞記事には「科学の進歩を肯定する立場から、東日本大震災後も不断の技術革新による原発の危険性除去を主張した」とありました。
以前に彼のそうした態度を示す文章を読んだ時には、少し意外な感じがしましたが、そこにはやはり無視できない視点が有ると思います。
多くの人が正しいと考える意見が有ったとしても、それが感情的になり独善的になって、他からの批判を許さなくなるようではいけない、と言う事です。
たとえ深い痛みや怒りを感じでも、考える事をやめてはいけない。
難しいけれど、そのように心掛けたいと思います。
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2012年03月02日

日本語が亡びる?

日本語が亡びるとき

1月24日に「漢字が日本語をほろぼす」(田中克彦著、2011年角川SSC新書)と言う本について書きましたが、それより前に出たのが「日本語が亡びるとき」(水村美苗著、2008年筑摩書房)と言う本です。
著者は夏目漱石が書いた「明暗」の続編を書いた小説家で、幼い頃はアメリカで暮らし、外国の作家達とも広く交流が有るようです。
この本では、インターネットが広まり英語だけが「普遍語」になりつつある世界の中で、このままでは日本語が歴史や文化を担う「国語」の役割を果たせなくなってしまうと言う危機感と、日本語がそのような「国語」として成り立つまでの道のりが書かれていて、なかなか興味深く、説得力が有ると思いました。
しかし、ではどうするかと言う事で、学校で日本の近代文学をもっときちんと教えるべきだと言う主張になるのですが、文学への思い入れがあまりにも強いせいか、その論の進め方にはやや無理が有ると感じました。
本の売れ行きは良かったようですから、それだけ同じような問題意識を持っている人が多いのかも知れません。
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2012年02月24日

Thinking of Miss Daisy(ミスデイジーについて)

今週の2月20日、NHKBSで”Driving Miss Daisy”(ドライビングミスデイジー)と言う映画を見ました。
公開された1989年から23年が経ち、主役の老婦人Daisyを演じたJessica Tandy(ジェシカタンディ)は既に故人となっています。
しかし彼女の演技は過不足が無く存在感に満ちていて、素晴らしいものだと思いました。
見終わってふと気になったのは、題名に有るmiss(ミス)と言う言葉。
未亡人にこの言葉を使う事が一般的かどうか解りませんが、missと言う単語を手元に有る何冊かの辞書で調べても、未婚の女性やお嬢さんと言う意味しか載っていません。
一方インターネットで調べると、ウィキペディアにmistress(ミストレス)の略体が語源、と言う説明が有りました。
mistressを辞書で引くと、女主人、女教師、女の支配者などと言う意味が載っています。
Daisyは主人であるだけでなく元教師で、その気難しさや頑固さは支配者のようですから、そう考えると不思議ではないような気がします。
日本語の題名がドライビング Miss デイジー、とわざわざmissだけ英語のままにしてあった事にも、そうした意味が込められていたのでしょうか。
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2012年02月10日

星の王子さまが教えてくれた事

星の王子さま

サンテグジュペリ著、池澤夏樹訳の「星の王子さま」(Le Petit Prince、集英社)。
青い布の上に金色の文字が書かれた表紙に惹かれて、読む事にしました。
とても有名な本ですが、以前に読んだ覚えは有りません。
でももしもっと前に読んでいたら、今のようにしっかりと受け止める事はできなかったでしょう。
本との出会いは、不思議なものです。
例えば、89ページのキツネの言葉。
「きみがバラのために費やした時間の分だけ、バラはきみにとって大事なんだ。」
自分がしてもらった事には感謝しなければならない、と言うような話しは数え切れない程聞きましたが、自分がしてあげた事が大切なんだ、と言う事は今まで誰も言ってくれなかったように思います。
もっと前に読んでいたらきっと解らなかった、けれど今ではなく、もう少し前に読んでいたら、、、、
表紙以上に、美しい内容の本でした。
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2012年01月31日

なるべく漢字で書こうとすると

前回「漢字が日本語をほろぼす」と言う本の事を書きましたが、自分の事を顧みると、普段文章を書く時にはなるべく漢字を使うようにしている事に気付きます。
しかしそうすると色々不都合を感じ、困る事が多いのです。
以下、具体的な例を幾つか挙げてみます。

2つの「辛い」
中国語でも韓国語でも大部分の漢字の読み方は1つなのに、日本語の場合は大抵何種類も読み方が有り、厄介です。
例えば、「辛い」には「からい」と「つらい」の両方の読み方が有り、意味は文脈から判断するしか有りません。
私は「からい」、「つらい」と平仮名で書いて区別しています。
中国語では、「からい」なら「辣(la)」、「つらい」なら「辛(xin)」か「苦(ku)」を使います。

「遅い」と「晩い」
逆の例で、「はやい」には時間を言う場合と速度を言う場合が有り、漢字で書く時にはそれを「早い」と「速い」と言うように使い分ける事になります。
しかし「おそい」となると、「晩い」が常用漢字の使い方として認められていないので、両方とも「遅い」になってしまいます。
私は時間の場合を「晩い」、速度の場合を「遅い」と書いて区別しています。
中国語では、時間なら「晩(wan)」、速度なら「慢(man)」か「遅(chi)」を使います。

「話」と「話し」
漢字に日本語本来の言い方を当て嵌める「訓読み」と言うやり方は、韓国語などには無いもので、色々と不都合を感じる事が有ります。
例えば同じ「話」の読み方が動詞であれば「はな」、名詞であれば「はなし」となってしまいます。
私は名詞についても動詞と同じように「話し」と書くようにしています。

「行って来る」、「うまく行く」、「やってみる」
漠然とした言葉や補助的な言葉に漢字を当て嵌めようとすると、迷う事が多く有ります。
例えば「いってくる」は、行った後で来る訳ですから、私は「行って来る」と漢字を使って書くようにしています。
「うまくいく」の場合、「うまく」を「上手く」と漢字で書く事には違和感が有るので平仮名とし、「いく」には「(事が)運ぶ」と言う意味を込めて「行く」と漢字で書き、全体としては「うまく行く」と書くようにしています。
「やってみる」の場合、「やって」には適当な漢字が無く、「みる」には「試す」と言う意味を込めて漢字で書きたい所ですが、「やって見る」は感覚的に不自然なので、「やってみる」と全て平仮名で書くようにしています。
しかし韓国語で考えると、「やる」の「ハダ」と「見る」の「ポダ」を合わせれば「やってみる」の「ヘボダ」となりますから、それを考えれば「やって見る」と書いてもおかしくはないと思います。

以上、4つの例を挙げましたが、似たような例はまだまだたくさん有るのです。
もし漢字を捨てる事でこのような煩わしさが無くなるのであれば、随分楽になるでしょう。
しかし自分としてはもう少し、漢字に拘ったまま文章を書いて行きたいと思っています。
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2012年01月24日

漢字が日本語をほろぼす?

漢字が日本語をほろぼす

最近読んだ本で最も感心させられたのが、田中克彦さんが書いた「漢字が日本語をほろぼす」(角川SSC新書)と言うものです。
初め新聞でこの題名を見た時には、衝撃を受けると同時に疑念を持ちました。
自分の常識では、日本語にとって漢字は無くてはならないものであり、その使い方に注意し工夫する事はそのまま言葉を大切にする事になると思っていたからです。
しかしこの本によれば、漢字は日本語を不自由で解り難く、閉じたものにしているばかりか、差別を助長していると言うのです。
その考えの全てには賛成できませんが、無視できない貴重な視点が有ると思います。
例えば、モンゴルやベトナムなど中国に隣接した国では既に漢字を捨てていて、朝鮮半島でも半ばその道を辿っていると言う説明には説得力が有りますし、現代では外国人にとって解り難い言語は存在価値が低下してしまうと言う主張には強い共感を覚えます。
漢民族に対する警戒感が強過ぎると言う点は気になりますが、自分自身を振り返ってみて、逆に無意識の内に劣等感や憧れを抱いていたかも知れないと気が付いた時には、怖くなりました。
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2011年12月06日

NHKスペシャル「証言記録 日本人の戦争」

12月3日と4日の夜、NHK総合テレビで放映されたNHKスペシャル「証言記録 日本人の戦争」を見ました。
かなりつらかったですが、見て良かったし、見るべきだったと思います。
以前に習ったり本で読んだりしたような内容であっても、実際に経験した人達の証言として聞くと、やはりその重みが違います。
私の亡くなった父は番組に出ていた人達と同世代で、徴兵されて北支、つまり中国東北部へ行っていたのですが、生前あまりその時の話しをしようとはしませんでした。
正直に言えば、私の方も父がどんな事をしていたのかを聞くのが、怖かったのです。
しかし記憶に残る限り、父が話してくれた内容は、番組に出ていたどの人のそれとも違っていました。
おそらく、徴兵される前は街中に住んでいてそれなりに情報を得ていたと言う事も有るでしょうし、また体が弱く乙種合格の通信兵だったと言う事も有るのでしょう。
それに比べると内地、つまり日本国内に居た母が話していた事の方が、番組全体の調子、あるいは雰囲気に近いものだったように思います。
番組を紹介したNHKのサイトを記しておきます。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/111203.html

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2011年11月30日

白州正子が書いた柿の事

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少し前に、白州正子が書いた「木」と言う本を読みました。
檜から始まって桜で終わる、日本人に馴染みの深い20種類の木とそれにまつわる話題が書かれていて、田淵暁(たぶちさとる)と言う人が撮った美しい写真が挿入されています。
白州正子ファンの友人によれば、彼女が書いたものの中では特に面白いものではないそうですが、私としてはずっと飽きずに読めて、好感を持ちました。
中でも良かったのが、柿について書いた文章。
他の木の場合は各地の寺社や山中に有る名木を尋ねると言った話題が多いのに、ここでは自分達が住んでいた武相荘(ぶあいそう)の庭に有る木や、近くの王禅寺柿の事を書いていて、親しみ易さを感じます。
閑話休題と断わってから、熟した実を取り尽くさずに1つ残しておく事を、鶴川村に残る美しい習慣だと褒めていますが、私の家や川崎市北部に有る母の実家でも、以前から同じ事をしています。
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2011年10月10日

緑区で高い放射線量

10月7日の神奈川新聞24面に、文部科学省が公表した福島第1原子力発電所事故で放出された放射物質の測定結果に基づく放射線量の記事が有り、神奈川県内はほとんどが0.1マイクロシーベルト以下だったが、横浜市緑区と山北町の一部地域で0.1〜0.2マイクロシーベルトの地点が有った、と書いてありました。
横浜市緑区は、私の自宅と事務所が有る所です。
ああ、やはりそう言う事が有るのかと不安になり、インターネットで調べ始めたのですが、詳しい事は解らず、ただひょっとしたら緑区と有ったのは相模原市緑区の事かも知れないと思うようになりました。
翌日8日の新聞には案の定、その通りの訂正記事が載り、一瞬安心をしかけた訳ですが、その後でふと、そうした自分の気持ちがあまりにも浅はかで、かつ浅ましいものである事に気が付いて、愕然とする事になりました。
こうした状況を、早く変えて行かなければならないと思います。
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2011年06月27日

再読ノルウェイの森

ノルウェイの森

友人とEメールのやり取りをしていて、村上春樹が書いた「ノルウェイの森」の話題が出ました。
もう大分前に読んだので内容は大方忘れたし、その本がどこに有るのかも解らない、とつれない返事をしたら、何と、その人は上下2冊の文庫本を郵送してくれました。
それで再読してみると、やはり以前とは相当違った受け取り方になったようで、登場人物で言うと、主人公の僕の女友達、緑の存在がとても心に残りました。
キズキにしろ直子にしろ、僕の周りの人達は皆繊細で傷付き易く、自ら死を選んでしまうような人ばかりなのですが、緑は対照的に、決して自殺などしない人として描かれています。
もし緑が登場しなかったら、この小説はあまりにも陰鬱で、救いが無いものになってしまったでしょう。
それは唐突ですが、大友克洋が描いた「AKIRA」に近い仕組みであるように思います。
「AKRIA」には次々と超能力者が登場しますが、ヒーローの金田とヒロインのケイはそうした能力を持たない普通の人間で、だからこそ読者は、物語の世界に引き込まれるのだろうと思うのです。
「ノルウェイの森」が単行本で出版されたのは1987年、「AKRIA」が週刊誌に連載されたのは1982年から1990年ですから、共通する何かが有ったのかも知れない、などとつい、考えてしまいます。
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2011年04月18日

多木浩二さんの事

新聞によれば、多木浩二さんが4月13日に亡くなられたとの事。
心よりご冥福をお祈りします。
私が建築を学んだ東工大の坂本一成研究室では、多木さんが書かれた「生きられた家」と「ものの詩学」の2冊は、必読文献とされていました。
また一時期、特別講義と言う形で、多木さんご自身が何度か研究室に来られて、建築についてのいろいろなお話しをして下さった事も有りました。
慎重でありながら無駄が無く鋭い多木さんの言葉を、一言も聞き漏らさないようにと、皆で緊張しながら聞いていた事が、懐かしく思い出されます。
その内容を十分に理解できていたとは言えませんが、強く覚えているのは、何かを信じてしまえば考える事を止める事になる、そうではなく私達は考え続けるべきだし、それに伴う不安は受け入れなければならない、と言う言葉です。
私自身、いつかは多木さんの批評に耐えるような建築を設計して、見て頂きたいものだと思っていたのですが、適わぬ事となってしまいました。
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2011年01月22日

ドマーニ


Domani

横浜市郊外の港北ニュータウンに、「ドマーニ」と言うピザの店が有ります。
私の家からだと車を使う事になってしまうのですが、おいしくて店の人達の感じも良いので、時々お邪魔しています。
「ドマーニ」(Domani)とはイタリア語で、「明日」と言う意味。
馴染みが無い外国語であるせいか、単純に翻訳される言葉の意味以上に、想像力を呼び覚ます何かを、感じてしまいます。
そしてふと、学生の時に英語の授業で読んだ、ジョゼフ・コンラッド(Joseph Conrad)の「トゥモロウ」(Tomorrow)と言う小説を思い出しました。
明日、明日と言いながら過去に縛られている老人と、その老人の行動に縛られている若い女性の話しです。
考えてみれば明日は、今日と違って不確かである、と言う意味で、昨日に近いのかも知れません。
そしてポーランド生まれのコンラッドにとって、英語は元々外国語であり、彼も「トゥモロウ」と言う言葉に何か、単純な意味以上のものを感じていたのではないか、などと、想像を重ねてしまうのでした。
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2010年10月07日

いまなぜ青山二郎なのか


いまなぜ青山二郎なのか

友人の1人に白州正子ファンがいて、別の友人に小林秀雄ファンがいる、と言う事で、白州正子の著作「いまなぜ青山二郎なのか」を読みました。
青山学院と言われた、青山二郎と文人達との付き合い、そして小林秀雄との高級漫才。
白州は敬愛する青山を、敬愛するが故に一定の距離を保ちながら、活き活きと描写しています。
自分には全く縁が無い世界だけれと、少し前の日本には、確かにこう言う場所が有ったのだな、としみじみ思いました。
そしてきっかけがきっかけだけに、青山と小林の交流が羨ましく、心に残りました。
その友情は、小林が青山から離れる形で一旦終わり、また和解を迎えるのですが、その和解が不十分だった事を残念がる部分では、それまで保たれていた距離が一気に縮まって、叙情的な調子で書かれています。
そこからはもう一つの友情、青山二郎と白州正子自身とのそれが、痛い程強く感じられました。
それは青山と小林の繋がり以上に、得難いものだったように思われます。
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2010年09月24日

「悪人」に出演していた満島ひかりについて

久し振りに映画館へ行って、李相日監督の「悪人」を見ました。
前に見た同監督の「フラガール」は爽やかで愛すべき映画でしたが、今回は重いけれども心に残る、全く違った形の良い作品でした。
内容は別の機会に譲るとして、予想外に感心したのは、出演者達の素晴らしい演技。
主役の妻夫木聡や深津絵里も良かったけれど、それ以上にすごいと思ったのは、満島ひかりと樹木希林でした。
特に満島は、普通の女の子だけれど少し悪い所が有り、運悪く殺されてしまう、と言う難しい役柄を見事にこなしていて、まるでそこだけがドキュメンタリーになったかのような、迫真の演技でした。
フィクションと解っていながら、本当にそう言う人が存在していたような錯覚を覚えて、怖くなった位です。
ちなみに、モントリオール世界映画祭では深津絵里だけが最優秀女優賞を受賞したそうですから、審査員は何を見ていたのだろう、などと思ってしまいますが、賞と言うものは、往々にしてそう言うものなのでしょう。
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2010年09月15日

デザイン言語


デザイン言語

デザイン言語、と言う本を友人から貰って読みました。
編者は奥出直人さんと後藤武さんで、慶応義塾大学で行われた講義が元になっています。
執筆者は建築家の隈研吾、塚本由晴から始まって、佐々木正人、茂木健一郎、東浩紀、港千尋まで、様々な分野で活躍する13名。
良くここまで集められたものだ、と感心させられる人選です。
本が出たのは2002年なので、もはや最前線の情報とは言えないのでしょうが、世の中の流れに疎い私には、丁度良かったようです。
ガンダムや攻殻機動隊には馴染みが有るけれど、エヴァンゲリオンについては何も解らない、と言った調子で、知っている事と知らない事の両方に出会いながら、興味深く読み進める事ができました。
頭が少し固くなっている社会人にとっては、若い学生にとってとはまた違う意味で、有意義な本だと思います。
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2010年08月24日

白川静さんの事


漢字百話

少し前に友人とEメールのやり取りをしている中で、白川静さんの話題が出たので、それをきっかけに、買って積んだままにしてあった「漢字百話」を読みました。
この本は、白川さんが成し遂げた仕事の一端を垣間見る事ができる、と言うだけでなく、いろいろなものに対する見方についても触れる事ができて、とても興味深い内容になっています。
考えてみれば、今でも白川さんの存在は、言葉や文字について多少でも意識的に向き合おうとしている多くの日本人にとって、大切な拠り所になっているのではないでしょうか。
私の場合、少し屈折した形かも知れませんが、漢字と言う、中国で生まれた文字に頼る事への劣等感、またそれによる不自由さや焦りのようなものを、相当軽くして頂いたように感じています。
有名な「字統」は、ずっと自室の手が届く所に置いてあって、頻繁に見ると言う訳ではないのですが、それが有ると言うだけで、心の支えになっています。
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2010年07月30日

わかたけ


わかたけ

もう1つ、徳島でのお話し。
ホテルに帰る途中でふと立ち寄った「わかたけ」と言う料理屋さんの事です。
カウンター席だけの小さくなお店に、若い板前さんと仲居さん。
お酒は飲まずに、勧められるまま数品の料理を食べましたが、どれも感心する程のおいしさでした。
途中小皿で出された醤油が気になったので、地元の物なのか聞いてみると、3種類の醤油を混ぜて、だしを加えている、との事。
本当は地元の醤油も使いたいのだけれど、そうすると師匠から受け継いだレシピが使えなくなって、初めから研究し直さなければならない、とも仰っていました。
控えめで押し付けがましい所が無く、素材の良さを引き出している味だと思って好感を持ったのですが、やはりその為には相当の努力や注意が必要なのだ、と言う事に気付きかされました。
そうなるとつい、自分の事を考えてしまって、自分は同じような姿勢で仕事に取り組んでいると言えるだろうか、また師匠から何を受け継いで、どう活かしているのだろうか、などと考える事になりました。
posted by masaaki at 23:29| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする