2021年05月07日

篠田桃紅展、書の外へ出た人 : The Exhibition of Shinoda Toukou, The person went out from Sho

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横浜のそごう美術館で篠田桃紅展を見て来た。
今年3月に107歳で亡くなった彼女に僕が初めて注目したのは、東京文化会館のロゴだった。
彼女は初め書を学び、そこから離れて美術作品を作り続けたけれど、書を書かなくなった訳ではなかった。
日本の書壇、書家達の世界から離れたかったのかも知れない。
やむにやまれずそうしたにしても、亡くなるまでそれを続けたのは、大変な事だったと思う。
とても比較にはならないけれど、自分の事を振り返ると、子供の頃から細々と書を学んでいたのに、一昨年病気になった時にやめてしまった。
元々書の世界を離れて何かする気概など無かったけれど、子供の頃には、書ではなく絵を描いていたいと思った事が良く有った。
まだ人生に残りの時間は有りそうだから、また何か始めても良い訳だ。
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2018年08月07日

書のワークショップ : The Workshop of Sho

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6月のある日、友人の設計事務所で開かれた書のワークショップに参加した。
以前から細々と書塾に通い続けているけれど、他の所で教えて貰う機会は中々無い。
講師は書楽家を名乗る安田有吾さん、参加者は僕を含めて7人だった。
画像に載せたのはその一こまで、手前右に居るのが僕、左に有るのが僕が書いたもの。
自分の名前を書いて向かいの人と交換し、それを真似て書くと言う事だった。
臨書と言って手本通りに書く事は書塾でもするけれど、その場合は昔の人が書いた名品とされるものを手本にする。
そうではなく目の前の人が書いたものを手本にすると、それと書いた人を結び付けて考えたり、普段していないような筆の使い方をしたりと、新鮮な経験になった。
他にも色々と工夫されたプログラムが続いて、後半は少し慌しかったけれど、楽しく実り多い時間だった。
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2018年04月23日

1行の書 : The drawing in one line

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門餘碧水一渓清。
昨年の展覧会に出品した縦1行7字の書。
半切の用紙に2行で14字や20字と言うものは書塾の毎月の課題にもなっていて書く事が多いけれど、1行のものは意外と書く機会が少ない。
2行有れば、1行目は下まで詰めて書いて2行目は下を空けるるとか、滲んだ字の隣になる字はかすれさせるとか、変化を付けるやり方が幾つも有って全体をまとめ易いけれど、1行の場合は中々そうした事がやり難い。
今回参考にした先生の書では、初めの字は太く濃く真ん中の字は細くかすれるようになっていたけれど、それをそのまま真似してしまうとばらばらな感じになってしまうので、全体の流れを重視してまとめるようにした。

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2018年01月26日

2018年の試筆 : The trial drawing at the biginning of 2018

春雪満空来触所似花開 不知園裡樹若箇是真梅

春雪満空来触所似花開、不知園裡樹若箇是真梅。
今年正月の試筆として書いた20字。
毎月取っている会誌から語句を選び、字を調べて草稿を作り、墨を磨って紙に書く。
何枚か書いたうち、画像に載せたものが一番良く書けたと思う。
所々はおかしいけれど、全体の流れが自然で、それなりに自分らしい書になっている。
ただし構成は概ね会誌の参考に従っているので、創作と言えるものではない。
一方で前々回に載せた水随方円器と書いた書は、ずっと拙いけれど、一応創作と言えるものだ。
今の自分の力では、今回のように創作でないものを書いている方が楽で、楽しい。
しかし少しづつでも挑戦をして、創作と言えるものを楽しく書けるようになりたい。
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2017年12月22日

水随方円器×3 Water changes that shape according to the vessel, writed 3times

水随方円器×3,r0.5

画像として載せた書は「水随方円器」と横に3回書いたもの。
「水は方円の器に随う(みずはほうえんのうつわにしたがう)」と読み、水は器の形に従ってその形を変える、と言う意味になる。
今年1月、建築家の集まりarea045(エリアゼロヨンゴ)による「建築家の素顔」展に出品した。
このウェブログの2014年9月10日に載せたものは同じ文を縦に1回書いていて、今回のように左から右へ3回書くと言う事は書の作品とすればやや常識外れだけれど、一緒に並べた建物の写真や説明文と馴染むようにと考えてこのようにした。
ただ、3回出て来るそれぞれの漢字には少しづつ変化を付けて、作品としての面白さも感じられるようにしている。
拙いけれど、自分なりのささやかな挑戦だった。
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2017年10月14日

テレビで見た聾瞽指帰 Roukoshiiki seen on television

9月16日にNHKで放送された番組「ブラタモリ」で、高野山に有る「聾瞽指帰」(ろうこしいき)と言う書が紹介されていた。
画像を通してでも尋常ならざる力が伝わって来るその書は、弘法大師空海が24歳の時に書いたものだと言う。
不勉強で知らなかったけれど、大師は唐に渡る前、既にここまでのものを書いていたのかと、改めて感服した。
手元の資料で探すと、雑誌「墨」241号で松岡正剛さんがこの書を紹介していて、その筆使いは仏教の印相(ムドラー)に繋がると言う。
一方で中京出版の「書の基本資料4:日本の書の歴史」では「空海の書とは認められない」とされている。
しかしたとえそれが大師の真筆でなくても、素晴らしいものである事は間違い無い。
高野山霊宝館の下記ウェブサイトでその小画像を見る事が出来る。
http://www.reihokan.or.jp/syuzohin/syoseki.html
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2017年02月25日

2017年の試筆と賞状の名前書き The trial drawing in 2017 and writing names of certificates of prize

晴日未消千嶂雪 暖風先放一川花

晴日未消千嶂雪、暖風先放一川花。
今年正月の試筆として書いた14字。
会誌の参考から気持ちに合った語句を選び、字を調べて草稿を作り、墨を磨って半切の紙に書いて行く。
一枚目は上手く書けないけれど、何枚か書いている内に様子が解り、それなりに自分らしいと思えるものが書けた時には、やはり嬉しくなる。
一方で今頼まれて困っているのが、賞状の名前を書くと言う事。
賞が決まってから表彰式までの間に書かなくてはならないので時間が無く、充分な準備が出来ないし、毛筆でなく筆ペンを使う事になってしまう。
頼まれた20枚全てを書くのはとても無理なので他の人にも分担をして貰い、僕は8枚を書けば良い事になったけれど、気が重い。
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2016年06月01日

沢村澄子展 The exhibition of Sawamura Sumiko

沢村澄子展-happend-

先週、横浜のフェイアートミュージアム、ギャラリーで開かれていた沢村澄子展を訪れた。
ミュージアムには「いろは歌」を題材とした書の大作、ギャラリーには様々な小品が並んでいて、前所では思い掛けず沢村さんご本人とお話しする事が出来た。
沢村さんは盛岡を拠点に活動されていて、2011年の東日本大震災をきっかけにご自分の周りを整理し、教えていた人は全て断わり、1人創作に取り組まれていると言う。
他の事に関わっていたのでは間に合わない、他の人に解って貰えなくても良いから書きたいものを書く、と思われたそうだ。
僕のように細々と書に取り組んでいる者からすると、それは怖い位に勇気が要る事だけれど、会場の幾つもの作品には確かにその切実さが宿っていると思った。



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2016年01月15日

恭賀新年之禧 Celebration of new year's pleasure

恭賀新年之禧

恭賀新年之禧。
今年の年賀状に書いた6文字。
禧はキと読み日本語では余り使われないけれど、漢語ではシーと読み楽しむと言う意味になる。
書としては、サインペンで書いたので線の色や太さに変化が無く、滲みや掠れも無いけれど、僕が書を書く時に大切にしているものはここに有るはずだ。
だからそれなりに自分の気持ちに合うものになっていて、また自分らしいものになっていると思う。
そうした事は僕にとって、展覧会に出す作品の出来栄えよりも重要なのだ。
年賀状を送ったかたから頂いた幾つかの感想は、どれも嬉しいものだった。

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2015年12月24日

2015年の漢字小品 The small work of Chinese character in 2015

山影入門推不出 月光舗地掃還生

11月に横浜で、僕が所属している書道団体の展覧会が有り、画像に載せた漢字の小品を出品した。
上野で行う大きな展覧会と違って作品が少なく審査も無いので、友人や親類に見て貰うには良い機会だ。
そうして見に来てくれた人から感想や批評を聞かせて貰うと参考になるし、励みにもなる。
今回はある先生から、このような硬い線を書いていては駄目だと言う助言を頂き、別の友人からは、柔らかい線なので意外だったと言う感想を貰った。
正反対の意見のようだけれど、僕が普段から硬い線を書いていて、毛筆を使えば当然柔らかい線になるけれどまだ硬い、と言う事なのだと思う。
ではこれからどうするのか、と考えると、中々悩ましい。
「山影入門推不出 月光舗地掃還生」
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2015年06月05日

臨九成宮醴泉銘 Copying "Kyuseikyureisenmei"

中鋸鹿郡

九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんめい)は中国の唐時代に欧陽詢が書いたもので、書を習っている人なら誰でも知っている楷書の名品だ。
文字の構成は揺るぎ無い位に整っていて、線は鋼のように力強く、人を寄せ付けないような厳しさを持っている。
見た印象としては冷たく、また息苦しい感じがして、以前からどちらかと言うと苦手だった。
しかしそれを臨書として実際に書いてみると、実力通り上手く書けないにしても、近付こうと努力した分、厳しさや強さが多少は得られるもので、思いの他楽しかった。
その厳しさや強さは、自分なりに自由に書いていたのではまず得られないものだろうと思う。
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2015年02月28日

2015年1月の試筆 The trial in Jaunary 2015

対酒不覚眠落花盈吾衣酔起歩渓月鳥還人亦稀
ここ何年か公共建築に関わる仕事をしているので、2月3月はとても忙しくなってしまう。
このウェブログも1ヶ月何も書かないまま月末になってしまった。
画像に載せたのは今年正月の試筆として書いたもの。
「対酒不覚眠 落花盈吾衣 酔起歩渓月 鳥還人亦稀」(李白)
自分の書の元になっている阿部翠竹先生の書を昔の会誌から探し出して参考にした。
不鮮明で小さい写真を見ながら一字一字丁寧に書いていたのでは全く先生に近付けないような気がしたので、細部に拘らず気合を込めて一気に書いた。
せめて旧正月の時期に載せれば良かったけれど、晩くても無いよりはまし、と考えた。
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2014年10月23日

2014年9月の習作 The study in September 2014

2014年9月の習作

「天驕遠塞行 出鞘宝刀鳴 定是酬恩日 今朝覚命軽」
唐の時代に王維と言う人が作った「塞上の曲」。
書の会誌に載っていた課題の漢詩で、鞘から抜いた刀が鳴り命が軽く思える、と言うような、勇ましい世界が詠まれている。
これ等の字を一通り字書や辞書で調べてから、半切の紙に並べて書き、何回か書いておかしい所を直した後の習作が、画像に載せたもの。
まだ気に入らない所は有るけれど、ここから字の大小、滲みや掠れ、配置などに工夫をし、作品として仕上げる事になる。
しかし僕は、ここまでの方が書いていて楽しいし、出来たものも自分らしい書になっているような気がしてしまう。
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2014年09月10日

水随方円器 Water takes the shape of the vessel

水随方円器

画像として載せた書は「水は方円の器に随う(したがう)」と読む。
「水随方円器、人因善悪友」と言う対句の前半で、2005年に書き、1枚は設計した友人宅の竣工祝いとして贈り、1枚は自分の事務所の壁に掛けてある。
木簡に書かれた古い書を参考にして、楷書や隷書よりも親しみ易く自由な雰囲気を持つように、また同時に力強さが感じられるようにしたいと思って書いた。
もし楷書で書いていたら、今頃恥ずかしくて見られないのではないかと思うけれど、これは今の所大丈夫だ。
目も腕も進歩していないせいかも知れないが、自分の事務所に飾る位は良いだろう。
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2013年05月21日

篠田桃紅百の記念展 Toko Shinoda A Lifetime of Accomplishment

篠田桃紅百の記念展

篠田桃紅と言う人に初めて関心を持ったのは、数年前改装された東京文化会館のロゴを見た時で、洗練された力強い漢字がとても印象的だった。
その彼女の展覧会が虎ノ門の菊池寛実記念智美術館で開かれていると言うので、見に行った。
1950年代のものから最近のものまで、墨象と呼ばれる抽象作品や仮名、それ等の組み合わせなど42点。
全体を通して変わらぬ真摯な姿勢が感じられ、最近のものにも100歳を迎えた人が書いたとは思えない強さと鋭さが有った。
自分が知る限り、抽象絵画に近付いた書として最も成功しているものではないかと思う。
展覧会の会期は5月26日まで。
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2013年05月15日

2008年の和文書作品 The writing work of Japanese in 2008

初時雨暫し途絶へし工事音

事務所で設計した住宅に不具合が生じたと聞いて伺ったら、居間に当たる部屋に自分が書いた書が飾られていた。
竣工のお祝いとして数年前に差し上げたものを飾って下さっていたのだった。
とても有り難い事なのだけれど、今見るとあまり良い出来ではないので恥ずかしく、申し訳無い気持ちになる。
書き直しますから引き取らせて下さい、とお願いしたい所なのだが、そんな事をしてもっと良いものが書けるとは限らないし、いつになってしまうかも解らない。
その時一生懸命に書いた事は確かなのだから、許される限りそのまま飾り続けて頂けば良いのだろう。
「初時雨暫し途絶へし工事音」
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2013年04月12日

誕生日に思った事 The thought on my birthday

欲迩春帰所問春不語流水与落花悠然背人去

ここ暫くは自分の事務所を構えてから一番の忙しさで、このウェブログには何も書けなかった。
今から思えば良く凌げたと思う程、体力的にも精神的にも厳しい状況だったと思う。
建築家は暇では困るけれど、忙し過ぎても困る。
また1人で全ての事を出来る訳ではないから、当てにしていた人が助けてくれないと、とても困る。
忙しさの中で自分の誕生日を迎えて、改めてそんな事を思う破目になった。
画像に載せたのは、1月に掲載するつもりだった書き初めの書。
時間が経つと多少は客観的に見えるのか、もし高校生でこの位書けたら少しは見込みが有る事になるのかな、などと思ってしまう。
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2013年01月31日

ヨメマセンカ、スミマセン。 Can't you read? I'm sorry.

2013年年賀状


またもや1箇月遅れの話題。
今年の年賀状を画像のようなもので送ったら、読めないとか解らないとか言う声が幾つも寄せられた。
拍子抜けかも知れないけれど、これは、あを安、けを計、まを末と言うように、今の平仮名の元になった漢字を繋げて行ったものなのだ。
以前に書塾の先生からこうした書き方の見本を頂いていて、何年か前にもプリントゴッゴで似たようなものを作っていた。
しかし今回は、サインペンで一生懸命に字を書く事はとても楽しい、と言う新鮮な発見が有った。
それは、普段書に取り組むと言っても、筆や墨に関わる労力が大き過ぎて、字そのものには充分向き合えていなかったのではないか、と言う気付きでもあった。

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2012年04月27日

宮沢賢治が書いた文字

宮沢賢治詩と絵の宇宙

横浜のそごう美術館で開かれていた「宮沢賢治詩と絵の宇宙」展を見ました。
子供の頃、学校や街の図書館で彼の本を何冊も読んだので、その儚く美しい世界は今でも心の奥に残っているように思います。
しかし鉱物や仏教の話しが絡み合っていて読むのに苦労した事などが有って、解り難く捉え難い人だと言う印象もまた持っていました。
今回の展覧会は彼の詩や童話を題材とした様々な作品が並ぶものでしたが、中に幾つか彼自身が書いたものが有ると言う事だったので、見てみたいと思ったのです。
実際に見て一番印象深かったのは、彼が亡くなる前に家族へ宛てて書いた何通かの手紙でした。
細い線で書かれた丸みを帯びた文字が几帳面に並ぶ、若い女性が書いたかと思わせるような書きぶりで、そこから想像される彼の姿は、随分と身近なものに感じられました。
そしてそのように書かれた文字で彼の詩や童話を読む事ができたら、どんなに素晴らしいだろうと思ったのでした。
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2012年01月12日

壬辰試筆

野寺分晴樹山停過晩霞春深無客到一路落松花

今年も宜しくお願いします。
正月の試筆、つまり書き初めには何を書こうかと考えて、結局、自分が所属している書道団体の創始者である故阿部翠竹先生の書を参考にする事にしました。
古い会誌に載っている画像は小さく、印刷の状態も良くないのですが、やはり何かしら、訴えて来るものが有ると感じます。
何しろ子供の頃から馴染んで来た書きぶりなので、自分にとっては書を書く時だけでなく、見る時の拠り所になってもいるのでしょう。
画像に載せたのは、その中の1句を書き始めて10枚目のもの。
9枚目までは、翠竹先生の強さに少しでも近付こうとして、いつも以上に力んでしまっていたのですが、この1枚は少し力が抜けて、バランスが良くなりました。
展覧会に出す作品であれば、ここからまた工夫を加えて行かなければなりませんが、書き初めと言う事で、その後1、2枚を書いて終わりとしました。
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