2017年10月14日

テレビで見た聾瞽指帰 Roukoshiiki seen on television

9月16日にNHKで放送された番組「ブラタモリ」で、高野山に有る「聾瞽指帰」(ろうこしいき)と言う書が紹介されていた。
画像を通してでも尋常ならざる力が伝わって来るその書は、弘法大師空海が24歳の時に書いたものだと言う。
不勉強で知らなかったけれど、大師は唐に渡る前、既にここまでのものを書いていたのかと、改めて感服した。
手元の資料で探すと、雑誌「墨」241号で松岡正剛さんがこの書を紹介していて、その筆使いは仏教の印相(ムドラー)に繋がると言う。
一方で中京出版の「書の基本資料4:日本の書の歴史」では「空海の書とは認められない」とされている。
しかしたとえそれが大師の真筆でなくても、素晴らしいものである事は間違い無い。
高野山霊宝館の下記ウェブサイトでその小画像を見る事が出来る。
http://www.reihokan.or.jp/syuzohin/syoseki.html
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2017年10月02日

ミノル・ヤマサキの形見 The keepsake of Minoru Yamasaki

 毎日色々な所から送られて来るEメール。ある時、英文のニュースレターに有る1枚の写真に目が止まった。巨大なフォークの形をした錆びた鉄の塊。2001年9月11日に倒壊したニューヨークのワールドトレードセンターの柱だった。
 案内されたウェブサイトの記事を読むと、ワールドトレードセンターの柱はアメリカだけでなく世界中で彫刻などに再利用されていると言う。続けて10程の例が作者と共に紹介されていたけれど、ワールドトレードセンターを設計した建築家、ミノル・ヤマサキの名前は書かれていなかった。*
 あの悲劇が起こった時、深夜のテレビ画面に釘付けになった事を思い出す。煙を上げる建物、そして2回目の衝突。次の朝からは様々なメディアや友人達との会話でたくさんの言葉に接したけれど、その時もやはり、彼の名前は出て来なかった。何千人と言う人が亡くなった大事件で、そうした話題はふさわしくなかったのだろう。その事を解りながらも、僕は寂しかった。自分が建築の道に進んだきっかけの一つが彼だったからだ。
 高校3年生の時、僕はよく校内の図書館へ行った。そこには黄色い表紙に黒い文字で建築家の名前が書かれた品の良い作品集が有って、丹下健三やアルヴァ・アアルト、それに多分ミースやコルビュジェのものも有ったのだろうけれど、気に入って繰り返し見たのは、ミノル・ヤマサキのものだった。思い違いでなければ、その作品集にはワールドトレードセンターの写真と、柱についての説明が有ったと思う。
 彼は幾つもの高層建物を設計する中で、共通する柱の問題を考えていた。主に事務所となる上の部分では、構造的な理由から柱の間隔がある程度狭くなる。しかし下の部分では、出入口やロビーを作るので間隔を広くしたい。それで下の部分にアーチを設けたり、柱を彫刻的な一つの形にまとめたりと色々な工夫をした。その最も洗練された解決策が、上の柱を3本づつフォークのようにまとめて1本にすると言うワールドトレードセンターの形だった。
 僕が今、自分で建物を設計する時にも、ずっと小さい規模で似たような問題を考える事が有る。その解決策を依頼主や友人に説明する事はあまり無いけれど、自分にとってそうした工夫は大切なものだ。その気持ちの中には、ミノル・ヤマサキから受け継いだ何かが有るように思う。
* https://www.world-architects.com/en
Memorializing 9-11 with ‘WTC Steel’ by Lester Levine, 8. September 201
area045 建築家のコラム 2017年10月02日掲載
http://www.area045.com/mutter/291.html
posted by masaaki at 18:18| Comment(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする