先週10月11日、「新国立競技場を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」と言うシンポジウムを聞きに行った。
僕の師である建築家、槇文彦さんが、同じ題名の文章を建築家協会の機関紙JIA MAGAZINE 295号に書いた事を受けて行われたもので、相当の関心を集めたようだった。
上記の文章で槇さんは「発表された新国立競技場のパースが一葉、日本のメディアに公表された時、私の第一印象はその美醜、好悪を超えてスケールの巨大さであった」と書いているけれど、僕自身も全く同じように感じたし、あの場所を多少でも知っている建築家であれば、やはり同じようにそう感じたのではないかと思う。
そしてその事をあの案の問題とするだけではなくて、それを選んだ設計競技、もっと言えば日本における公共建築のあり方そのものを問う事が重要なのだと思う。
この問題を投げ掛けるのに槇さん以上の適任者は居なかっただろうけれど、これから何かを変えようとすれば、より広い動きがなければならない。
11日のシンポジウムがその始まりになれば良いと思う。
新国立競技場についてはニュースを見ましたが、経費が予定より大きく膨らんでいるようですね。前途多難のように見受けられますが…。設計のコンペの段階から興味を持っていました。
国の顔となるような施設にも関わらず、その計画の進め方、設計競技のやり方が杜撰だったようです。
まだこれから考え直す時間は有ると思います。