2012年03月28日

宇都宮で見た大谷石

高橋佑知商店採掘場

先日、建築家協会の催しで宇都宮へ行きました。
宇都宮は大谷石の産地として有名で、それが建物や塀に使われた多くの例を見る事ができました。
しかし今まで自分が設計した建物に使った事は有りません。
大谷石は脆くて風化し易いとされているので、石を使う時にはどうしても大谷石より大理石、大理石より御影石、と言うようになってしまうのです。
でも考えてみれば、木や金属など他の材料の耐久性にもそれなりに限りは有るのですから、石にばかり高い性能を求めるのはおかしいのかも知れません。
例えば、御影石を杉や檜などと合わせて使うと、感覚的に木の方が負けてしまって不釣り合いになる事が有りますが、大谷石であれば柔らかい感じがして、相性はずっと良いように思います。
画像を載せた露天掘りの採掘場で、切り出されたばかりの大きな塊を見ていて、仕上げ材としてもう一度見直してみたいと言う気持ちになりました。
posted by masaaki at 18:25| Comment(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月21日

吉本隆明さんを悼む

3月17日の神奈川新聞によれば、16日に吉本隆明さんが亡くなられたとの事。
心よりご冥福をお祈りします。
直接お会いした事は有りませんが、何か大切な物事を考える時に、意見を聞いてみたいと思わせるような人でした。
今改めて考えなければならないと思うのは、彼が一貫して原子力発電反対の立場を取らなかったと言う事です。
先の新聞記事には「科学の進歩を肯定する立場から、東日本大震災後も不断の技術革新による原発の危険性除去を主張した」とありました。
以前に彼のそうした態度を示す文章を読んだ時には、少し意外な感じがしましたが、そこにはやはり無視できない視点が有ると思います。
多くの人が正しいと考える意見が有ったとしても、それが感情的になり独善的になって、他からの批判を許さなくなるようではいけない、と言う事です。
たとえ深い痛みや怒りを感じでも、考える事をやめてはいけない。
難しいけれど、そのように心掛けたいと思います。
posted by masaaki at 19:51| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月13日

震災後1年、食べ物の事

去年の3月11日に震災が起きてから、1年が経ちました。
私自身の事を振り返ると、当日は事務所に若干の被害が有っただけでしたが、後の生活は随分変わってしまったように思います。
やはり原子力発電所の事故が影を落としているのでしょう。
働いていた所員はそれをきっかけに辞め、関西へ引っ越してしまいました。
周りには食べ物の事を心配している人が多く、東日本でできた物は口にしないと言う話しも聞きます。
自分や家族の健康を考えれば、当然の事かも知れません。
私は以前から食事に気を遣う方だったので、友人からは大変だろうなどと言われますが、自分でも意外な事に、余り気にし過ぎないようにしています。
母親が農家の出だったせいか、本来自分で作るべき物を替わりに作って貰っていると言う気持ちが有って、今まで食べていた物を避ける気にはなかなかなれないのです。
一方で不安も感じますから、どうにも落ち着かない毎日が続きます。
そして放射線量を示す図や表を見る度に、自分が暮らす世界がこのようになってしまったのかと心が痛みます。
posted by masaaki at 18:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月09日

代官山蔦屋書店

代官山蔦屋書店

代官山の旧山手通り沿いに蔦屋書店ができたと聞いていたので、昨日見に行きました。
あの辺りは私にとって思い入れが有る所で、気にしていたのです。
全体は低層の建物がゆったりと配置されていて緑も有り、良い場所になっていると思いました。
書店そのものは落ち着いた雰囲気で、毎日朝の7時から深夜2時まで開いているそうです。
ここを作った増田宗昭さんのインタビュー記事を以前雑誌で読んで、しっかりした考えを持っている人だと感心しましたが、その意向がきちんと反映されているのでしょう。
建築としてもその期待に応えたものになっていると思いますが、設計者の立場からすると、もう少し良くできたのではないかと言う気持ちが残ります。
一番気になったのは、通りに面して似たような建物を3棟並べた書店の配置。
結果として建物の間の場所があまり活かされず、内部に入ると自分がどこに居るのかが解り難くなってしまったように思います。
設計をしたクラインダイサムは隣接するヒルサイドテラスに敬意を払ったそうですが、その辺りはもう少し見習う余地が有ったのではないでしょうか。
posted by masaaki at 19:10| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月02日

日本語が亡びる?

日本語が亡びるとき

1月24日に「漢字が日本語をほろぼす」(田中克彦著、2011年角川SSC新書)と言う本について書きましたが、それより前に出たのが「日本語が亡びるとき」(水村美苗著、2008年筑摩書房)と言う本です。
著者は夏目漱石が書いた「明暗」の続編を書いた小説家で、幼い頃はアメリカで暮らし、外国の作家達とも広く交流が有るようです。
この本では、インターネットが広まり英語だけが「普遍語」になりつつある世界の中で、このままでは日本語が歴史や文化を担う「国語」の役割を果たせなくなってしまうと言う危機感と、日本語がそのような「国語」として成り立つまでの道のりが書かれていて、なかなか興味深く、説得力が有ると思いました。
しかし、ではどうするかと言う事で、学校で日本の近代文学をもっときちんと教えるべきだと言う主張になるのですが、文学への思い入れがあまりにも強いせいか、その論の進め方にはやや無理が有ると感じました。
本の売れ行きは良かったようですから、それだけ同じような問題意識を持っている人が多いのかも知れません。
posted by masaaki at 20:29| Comment(2) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする