2011年11月30日

白州正子が書いた柿の事

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少し前に、白州正子が書いた「木」と言う本を読みました。
檜から始まって桜で終わる、日本人に馴染みの深い20種類の木とそれにまつわる話題が書かれていて、田淵暁(たぶちさとる)と言う人が撮った美しい写真が挿入されています。
白州正子ファンの友人によれば、彼女が書いたものの中では特に面白いものではないそうですが、私としてはずっと飽きずに読めて、好感を持ちました。
中でも良かったのが、柿について書いた文章。
他の木の場合は各地の寺社や山中に有る名木を尋ねると言った話題が多いのに、ここでは自分達が住んでいた武相荘(ぶあいそう)の庭に有る木や、近くの王禅寺柿の事を書いていて、親しみ易さを感じます。
閑話休題と断わってから、熟した実を取り尽くさずに1つ残しておく事を、鶴川村に残る美しい習慣だと褒めていますが、私の家や川崎市北部に有る母の実家でも、以前から同じ事をしています。
posted by masaaki at 17:16| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月24日

熱海の石畳

石畳通り

先週末、建築士会の催しで熱海を訪れ、地元の方に石畳通りと呼ばれる場所を案内して頂きました。
ここが別荘地として開発されたのは戦前で、通称の由来となっている石畳は、かつて有った熱海ホテルが戦後占領軍に接収された際に敷かれたそうです。
この街に建っている建物は皆低層で落ち着きが有り、敷地には緑が多く見られます。
新しい道路ができたせいで海岸へ直接出られなくなったのは残念ですが、相模湾を望む景色は昔とそれ程変わらない事でしょう。
熱海にもこんなに良い所が有るのだな、と思い掛けない発見をした気持ちになりました。
一方で、熱海駅からこの街まで歩いた道のりは、車が多いのに歩道が狭く、周囲には高層マンションが建ち並んでいて、とても快適とは言えないものでした。
そして残念ながらその景色の方が、街全体の印象を決めてしまっているように思います。
posted by masaaki at 22:37| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月18日

石碑耐震対策

石碑耐震対策実施後

半年程前、両親の墓が有る寺のご住職から、寺の名前を記した石碑の耐震対策についてご相談を頂きました。
地震が起きた時に倒れて通行人に被害を与えないようにしたい、ただしなるべく見栄えを損なわないような形で、と言うご希望でした。
石碑は30年前に建てられた物で、高さが4m余り、重さは7ton以上有るだろうと思われます。
普段設計をしている建物とは勝手が違い、戸惑う事も有りましたが、構造が専門のKさんに手伝って貰って計画をまとめ、先月10月末に工事を完了する事ができました。
画像に載せたように、石碑の背後に4tonの重さを持つコンクリートの重りを設け、ステンレス製の鎖で石碑と繋ぐと言うものです。
この事で、震災に関連して多少でも世の中の役に立てたとすれば嬉しいですし、自分にとっては貴重な経験となりました。
posted by masaaki at 16:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月10日

横浜トリエンナーレ、尹秀珍の作品

ワンセンテンス

先週末11月6日で横浜トリエンナーレは閉幕しました。
私は9月と11月の2回に分けて行きましたが、周囲の声からすると、全体の評判はあまり良くなかったようです。
しかし当然と言うべきか、個々の作品には素晴らしいものが幾つも有りました。
例えば、尹秀珍(YinXuZhen、インシュウヂェン)さんの「ワンセンテンス」。
1人の人が身に着けていた衣服全てを紐状にほぐして巻き取り、それを金属製の容器に収めて、108個並べたものです。
それ等はまるで骨壷、あるいは位牌のように感じられて、強く印象に残りました。
つい自分の経験を重ねてしまうのですが、親しい人が亡くなって壷に入った骨が残された時、それがその人の変わり果てた姿だとは、なかなか納得できないものです。
それに比べれば、このように衣服を集めたものの方がずっと、その人の事を思い出させてくれるでしょう。
そしてこの作品の場合は、その1つ1つ、また108個全体の姿が、とても美しいと感じられました。
posted by masaaki at 21:24| Comment(0) | 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月01日

久地円筒分水

久地円筒分水

前回書いた分譲住宅の敷地は川崎市内で、少し離れた所をニケ領用水が流れています。
それをきっかけにふと思い出して、高津区に有る久地円筒分水を見に行きました。
ニケ領用水ができたのは江戸時代の初めで、円筒分水ができたのは1941年。
用水はここで4つの堀に分かれるのですが、それまでは水の分配を巡って争いが絶えなかったので、この装置によって分水が耕地面積に応じた一定の比率で行われるようにしたそうです。
現在はニケ領用水自体があまり利用されていないのですが、桜の季節には大勢の人がここを訪れると聞きました。
機能的な理由からできたに違いないこの美しい形と水の流れが、装置がその役割を終えた現在、一種のオブジェとして存在感を持ち、人々を惹き付けるのでしょう。
posted by masaaki at 19:03| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする