
久し振りに書の話題。
私は大日本日本書芸院と言う団体に所属して書を習っていますが、その創始者は阿部翠竹と言う方でした。
明治に生まれ、激動の昭和を通して書に取り組み、一派を成した翠竹先生が残した書を見ると、単に上手とか綺麗とか言う事を越えた、大きさと気迫を感じます。
会に所属している何千人かが、未だに亡くなった翠竹先生に倣って書き続けている、と言う事は、外部の方には異様に感じられるかも知れませんが、そこにはそれだけのものが有るのだと思います。
画像に載せた書は、私が先生の作品に倣って書いて、今年会が主催した展覧会に出品したものです。
漢字と仮名が混じった日本語、つまり近代詩文をどのように書くか、と言う事への先生の答えとは、語句を群として捉え、濃淡や滲み掠れを加えて、水墨画のように遠近や奥行きを表現する、と言う事だと理解しています。
これは、私がこれまで書いたものの中では、最も良く翠竹流近代詩文に近付いたものだろうと思います。