2010年03月31日

貧乏草


貧乏草

家の中に置いてある蘭の鉢に、いつの間にか別の花が咲きました。
ヒメジョオン、所謂「貧乏草」です。
前に母から聞いた話しでは、雑草であるこの花が畑に咲いているようでは駄目で、農家だったら貧乏してしまうから貧乏草、だとか。
でも私にとっては、子供の頃から見慣れた花で、飾り気が無い優しさが感じられて、取り除いてしまうのには忍び無く、そのままにしています。
もし玄関の前にでも咲いていようものなら、容赦無く毟り取ってしまったでしょうから、我ながら気まぐれと言うか、いい加減なものだと思います。
そう言えば昔、この花の茎の所を手で押さえたまま親指で花を弾いて、どこまで飛ぶかと遊んだ事が有りました。
今から考えると少し残酷ですが、貧乏草だから構わない、と子供ながらに理屈を付けていたのでしょう。
posted by masaaki at 21:33| Comment(0) | 植物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月27日

クリストとジャンヌ=クロードについて


クリストとジャンヌ=クロード展ちらし

私がクリストとジャンヌ=クロード(Christo and Jeanne-Claude)によるアンブレラプロジェクトを茨城まで見に行ったのは、1991年の事でした。
友人と2人、オリエンテーリングのような小旅行は、とても良い思い出になりましたが、社会人になったばかりの私には、その作品が持つ重大さは、ほとんど解っていなかったようです。
19年後の今、六本木で開かれている彼等の展覧会を見て、改めてそう思いました。
彼等のプロジェクトは、アトリエの中だけでは完結せずに、外の社会と関わり、そこで実現する事で、初めて作品になります。
そう言う意味では、建築家が設計する建物とも共通する部分が有る訳ですが、彼等の作品は、役に立つとか資産価値が有るとか言う事とは無縁で、ただただ美しく現われて、2週間後に消え去るのです。
悲しい事に、今の日本で彼等(ジャンヌ=クロードは亡くなりましたが、クリストはこれからも連名で作品を発表するようです)が同じ事をしようとしたら、当時より遥かに大きな困難に直面するのではないでしょうか。
それも、経済的に難しいと言うよりは、人々の意識が障害となって。
posted by masaaki at 18:27| Comment(0) | 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月23日

坂本一成先生の軌跡

先週、横浜国立大学の大学院で、恩師である坂本一成先生が講演されるとの事だったので、行って来ました。
坂本先生は、与えられた軌跡と言うテーマに沿って、学生時代のエピソードに始まり、篠原一男先生の影響を強く受ていた初期の住宅から、東工大の研究室で取り組まれた幾つかの集合住宅、それに現在進行中の小学校の計画まで、画像を交えて丁寧に話されていました。
考えてみれば、このようにご自分がやって来られた事を初めから順序立てて説明できると言う事自体が、すごい事だと思います。
また講演の後では、大学院で教える山本理顕さんや西沢立衛さんとのやり取りも有って、その内容もまた興味深いものでした。
世代としては、当然ながら山本さんの方が坂本先生に近いのですが、社会の中で建築の何を問題にするのか、と言うような話しになると、むしろ西沢さんの方が坂本先生の考え方に近い、と言うように感じました。
私自身、久し振りに学生に戻ったような時間を過ごして、少しは頭が柔らかくなったと言う気がしています。
posted by masaaki at 21:07| Comment(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月18日

パズルか集落か


ルネヴィレッジ成城

前回の続きで、同じ日に成城へ行き、友人のY君が設計した建物を見ました。
同じ位の広さからなる住宅が9戸、ばらまかれた壁の間を埋めるように配置された、集合住宅です。
その配置は特定の方向性や中心性を感じさせないように工夫されていて、全体がパズルのようでもあり、集落のようでもありました。
同行した友人達からは、実際の生活を考えるともう少し視線やプライバシーの問題をしっかり解くべきだし、解けたのではないか、と言う意見が出ましたが、一般的な都市環境を考えればもっと厳しい状況はいくらでも有る訳で、集合住宅にはこの位のルーズさが有っても良いのではないか、と言うのが私の意見です。
全体として、以前に図面だけを見せてもらった時に感じた図式的な硬さはあまり無く、良い意味での普通さが有ると感じました。
強いて言えば、地下を含めた高さ方向にはもう少し変化が有っても良く、そうなれば今よりパズルのような性格が弱まり、集落のような性格が強まったのではないかと思います。
posted by masaaki at 00:01| Comment(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月15日

槇さんが作る場所


仏教学大学院大学

年度末は建物の見学会が多く有って、見たい物も相当逃してしまっています。
そんな中、先週末は2つの建物を見て来ました。
1つは槇総合計画事務所が設計し、文京区内に完成した、仏教学大学院大学です。
事務所の担当者には旧知の人も居たので、何となく身内感覚で見始めたのですが、ホールとそれに続くホワイエまで来ると、ああ、これはやはり槇さんが作る場所だ、と身に沁みて感じ入る事になりました。
大学施設の一部分と言う位置付けなので、ホールと言っても規模はそれ程大きくなく、過去の幾つかの例に見られるようなデザインの密度感も無いのですが、場所の雰囲気には、さすがと思わせられる良さが有りました。
落ち着いていて品が有り、かつ清潔感が有って軽快さも感じさせるような、穏やかな心地良さ。
それを成り立たせているのは、独創的な空間造形でも、細心の注意を払った職人芸でもなくて、多種多様な建築的要素の慎重でリラックスした組み合わせ、とでも言えるやり方なのだと思います。
私が撮った内観写真は、残念ながら全くその良さを伝えていないので、画像としては建物の外観写真を載せておきます。
posted by masaaki at 20:48| Comment(0) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月09日

つ・ば・き


椿の花

今の季節、自宅の庭には何種類かの椿の花が咲いています。
広くはない庭ですが、亡くなった母が好んで色々な種類のものを植えたのでしょう。
子供の頃から有った木がほとんどで、普段はあまり気に掛ける事も無いのに、寒い季節にそれぞれが精一杯に花を咲かせているのだと思うと、お礼を言いたい気分になります。
何日か前、艶やかに咲いた花をじっと見ていたら、ふと、今まで「椿」と呼んで解ったつもりになっていて、花そのものは良く見ていなかったかも知れない、と思えて来ました。
「椿」、「ツバキ」、「つばき」、英語なら”camellia”(カメリア)。
書いてしまうとどれも何となくしっくり来ないのですが、「つ・ば・き」と口に出して言ってみると、それが一番目の前の花には合っているようでした。
きっと私が字を習う前に、口から耳へとその言葉を教えてもらったせいなのだろうと、おぼろげながら思います。
posted by masaaki at 20:38| Comment(0) | 植物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月05日

セシル・バルモンドの世界展


セシル・バルモンドの・続展ちらし

建築関係の仲間内で話題になっていた、「エレメント/構造デザイナー セシル・バルモンドの世界」展を見て来ました。
会場では大学の先輩Sさんにばったり会ったのですが、何と制作協力者として半年位この展覧会に関わっていたとか。
そのSさんからいろいろと説明を聞く事ができて、幸運でした。
具体的な展示物の中では、H-edge(ヘッジ)と言う金属の板と鎖でできた立体がとてもおもしろくて、手品のように鮮やかで不思議なアートであるとともに、チャーミングな工芸品にもなっているようなのです。
(画像のちらしに有る写真はその一部を写したものです。)
それを含めて、彼のアイデアを示すパネルとか、手掛けたプロジェクトを示す映像とかを見て行くと、羨ましいと思える程の自由さと幅の広さを感じました。
建築家とは技術と芸術の各分野に通じた万能人であるべきだ、と言う理想が現代に残っているとすれば、彼のような構造デザイナーこそ、それに近付く可能性を持っているのかも知れません。
展覧会は3月22日までで、以下のサイトに情報が有ります。
http://www.operacity.jp/ag/exh114/
posted by masaaki at 00:10| Comment(2) | 建築 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月01日

中華料理店で出会った人達

先週のある日、友人達と中華料理店へ行くと、隣の席にはとても元気の良い人達が居て宴たけなわ、と言う状況でした。
良く有る事ですが、聞こえて来る言葉は韓国語(または朝鮮語)と中国語、それに日本語が入り混じったもの。
実は日本に暮らす朝鮮系中国人の人達だったのです。
私は前から、その3つの言葉を使いこなしたいと望みながら果たせないでいるのですが、彼等はそれを十分に成し遂げていたと言う訳です。
その晩は1人の女性の誕生日だったようで、こちらからもお祝いを言ったり、料理やお酒をやり取りしたりして、ささやかな交流を持つ事ができました。
しかし彼等がこちらで暮らすようになるまでの道筋を思うと、想像もできないような厳しさが有ったのではないかと言う気がして、無邪気に笑っていて良いのかどうか、少し不安になりました。
それでも笑顔が無いよりは、有った方がやはり良いのでしょう。
もし彼等と再会する事ができたら、その事を素直に喜びたいと思います。
posted by masaaki at 23:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする